1980年代後半、北海道札幌市を拠点に活動していたロックバンドが全米デビューするという日本の音楽史上とても大きな出来事がありました。(2023.11.04記)
1987年 北海道のロックバンド「E・Z・O」が全米デビューの快挙
ヘヴィメタル/ハードロックファンであれば、日本のロック史上でも大きな出来事として記憶しているでしょう。
1987年、北海道札幌市を拠点に活動していたロックバンドが全米デビューするという出来事がありました。その名も「E・Z・O」。
「え?そんな凄いバンドが今までどこにいたの?」と誰もがビックリしました。そうなんです、全米デビューに合わせバンド名を改名したため、面食らったのです。
実は「E・Z・O」は、札幌で活躍していたロックバンド「FLATBACKER(フラットバッカー)」だったのです。
札幌で異彩を放っていたバンド「FLATBACKER(フラットバッカー)」
本日10/31はフラットバッカーのアルバム「戦争(アクシデント)」の発売日(1985年)。インディーズでの活動が殆ど無い状態でメジャーデビュー、その圧倒的な攻撃性で度肝を抜く事になる。 #FlatBacker #HeavyMetal https://t.co/slfWmdoLz2 https://t.co/HWezElRha8
— 音楽道楽 (@YszVQI6UO8T1kIQ) October 30, 2023
1980年代のヘヴィメタルブームは札幌市内においてもサーベルタイガーやファストドロウ、イライザ、シルバーバックなど数々のバンドを生み出しました。
中でも、「FLATBACKER(フラットバッカー)」というバンドは異彩を放っていました。当時のいわゆる「ジャパメタ(ジャパニーズメタル)」にありがちな世界とは一線を画し、ハードコアパンクのようなハチャメチャな荒々しさを持ち、独特の世界観を作り出していました。
<1985年FLATBACKER(フラットバッカー)のステージ>
硬派なジャンルでありながら「いい加減にしなさいよ。今に痛い目にあうわよ」というフレーズは、フラットバッカーのユニークさを象徴する歌詞として、たびたび音楽ファンの話題にされます。
「FLATBACKER」は、ヤマハ主催のコンテストで優秀賞を獲得すると、ビクターの目に留まり1985年にメジャーデビューし立て続けに2枚のアルバムを発売します。
ジーン・シモンズのプロデュース「E・Z・O」の誕生
「FLATBACKER」は、所属事務所をアミューズに移籍すると、当時、アミューズが海外拠点を模索していたことから米国進出を打診され、ボーカルの山田雅樹(MASAKI)は他のメンバーに先立ち英語修行のため渡米します。
何より、日本中を驚かせたのは、ゲフィン・レコードと契約後、プロデューサーとして迎えられたのは、キッスのジーン・シモンズだったのです。これほどの大物が登場するとは!期待の高さがうかがえます。
1987年、全米デビューにあたって改名されたバンド名は、なんと「E・Z・O(イーズィーオー)」。もちろん語源は、北海道の旧名「蝦夷(えぞ)」です。
ここで、過激でハチャメチャなイメージから、洗練された新時代のハードロックともいえるスタイルに音楽性が一変します。
メンバーたちの中にはかなりの葛藤があったことでしょう。しかし、プロモーション戦略として打ち出された「忍者メタル」というコンセプトの中でも個性を見失わないSHOYOのギター、そして圧倒的な迫力のMASAKIのボーカルは見事です。
「E・Z・O(イーズィーオー)」は、ガンズアンドローゼズとのクラブツアーを実施するも、ビザの都合で、日本のバンドでありながら日本ツアーを行うことができませんでした。
オリコンのLPチャートではトップ10入りを果たしましたが、本来は日本国内でもっと大騒ぎになるくらいの実力と話題性があったはずです。
ビルボードチャートでも、150位くらいまで上昇し、TOP100入りを果たしたラウドネスに次ぐ活躍でした。
伝説の秘話を語るYoutube動画シリーズ
バンドは、1990年に解散、その後、ボーカルの山田雅樹は一時期ラウドネスに在籍。ドラマーの本間大嗣は、浜田麻里のツアーメンバー、ラウドネス、アンセムなどで活躍しました。
その本間がFLATBACKERについて語るインタビュー動画が2023年10月3日から次々とYoutube配信されています。
この音楽ジャンルに接点のなかった人たちも、北海道ファンとして、ぜひこの話題をチェックしてみてください。
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