北海道から庶民の『ジンギスカン文化』が消えつつある?

北海道から庶民の「ジンギスカン文化」が消えつつある?

かつて、北海道では、花見にジンギスカン、親戚が集まればジンギスカン、週末の夕食にジンギスカン、友達同士で河原でジンギスカン・・・と「ジンギスカン」がとても身近にありました。

どこの家庭にもジンギスカン鍋がありました。カセットコンロが無かった時代には、持ち運び用のガスボンベがありました。屋外では炭火を起こさなくても、缶詰式の固形燃料がよく使われていましたね、

ジンギスカンは、誰でも気軽に楽しめる“庶民のごちそう”でした。

しかし今、その風景は静かに変わりつつあります。

羊肉は、かつては「安い肉」の代表だった

ジンギスカン用の羊肉は、かつて「とにかく安い肉」という位置づけでした。
牛肉は高級品、豚肉や鶏肉が日常、そして羊肉は“安くてたくさん食べられる肉”。

学生の集まりや家族の週末には、迷わずジンギスカン。
「腹いっぱい食べても財布が痛まない」ことが、この文化を支えていました。

ところが近年、状況は一変しています。

輸入羊肉の価格は上昇を続け、今やスーパーの売り場では、豚肉より明らかに高く、場合によっては“牛肉と大差ない”価格帯に並ぶようになしました。

あの「丸い肉」、道民にはたまらない「ラムロール(またはマトンロール)」。
昔はスーパーの特売で100gあたり98円や128円で山積みされていたあの肉が、今やどれほど「高嶺の花」になったのか。具体的な数値推移をまとめました。

年代・時期 価格(100gあたり) 道民の感覚・背景
2010年頃 98円 〜 128円 「今日ジンギスカンにするか」
と気軽に買えた黄金時代。
2015年頃 158円 〜 198円 少し値上がりを感じるが、
「ぶたしゃぶ」よりも安いから
ジンギスカンにしようという選択ができた頃。
2021年頃 248円 〜 298円 コロナ禍の物流混乱と中国の爆買いで
価格が跳ね上がる。
2024年 348円 〜 428円 ついに「牛カルビ」と肩を並べる。
特売でも200円台が限界。
2026年(現在) 398円 〜 498円 過去最高値圏。 円安の影響で、
もはや「高級食材」の仲間入り。

出典: 財務省「貿易統計(輸入通関価格)」、日本経済新聞、北海道内主要スーパーのチラシ価格、および食肉業界(ラムバサダー等)の市場動向報告。

学校行事から遠ざかるジンギスカン

かつて北海道の小学校では、「炊事遠足」といえばジンギスカンが定番でした。「炊事遠足」とは、北海道や東北の一部の慣習のようですが、リヤカーに材料を積むなどして河原などに運搬し、皆で手分けして炊事をする体験学習のことです。

火を使い、みんなで調理し、食べる。単なるグループワークではなく、地域文化を伝える大切な行事でした。

しかし現在では、安全面への配慮、衛生上のリスク管理などの問題から、管理が行き届いたキャンプ場などに限定されたり、農業体験施設での食育活動を兼ねた活動などに変化してきています。

子どもたちがジンギスカンを当たり前に体験する機会は、確実に減っているのです。

参照リンク:炊事遠足という北海道独自の小中学校定番行事をご存知?その内容とは?

学生文化「ジンパ」の衰退

大学生の間で親しまれてきた「ジンパ(ジンギスカンパーティー)」も同様です。

安く、気軽に、大人数で楽しめる――それが最大の魅力でした。

しかし現在は、大学構内での安全管理や防火の観点、レジャーの多様化、コロナ以降の集まり方の変化、さらに肉の価格上昇が追い打ちをかける形となり、開催頻度は明らかに減少しています。

今や「ジンパをやったことがない」という学生、いや「ジンパ」という言葉すら「聞いたことが無い」という学生も珍しくありません。

コロナ禍が止めた「外で食べる文化」

さらに追い打ちをかけたのが、新型コロナウイルスの感染拡大でした。

札幌の花見の定番スポットである「円山公園」では、長年続いてきた「火気使用OKのジンギスカン花見」が自粛対象となりました。

あの独特の光景――ブルーシートの上にコンロを並べ、煙を上げながら肉を焼く春の風物詩は、途絶えました。(コロナ禍の頃にはすでにジンギスカンは少数派になっていましたが・・・)

この“空白期間”は、文化の継承にとって決して小さくないと思われます。

消えていくのは“味”ではなく“文化”

誤解してはいけないのは、ジンギスカンそのものがなくなるわけではない、ということです。

専門店に行けば、質の高いラム肉を楽しむことはできます。むしろ「外食としてのジンギスカン」は、一定の人気を保っています。

しかし――問題はそこではありません。

かつてのジンギスカンは、「特別な日」ではなく「日常の延長」にありました。

誰でも、どこでも、気軽にできる。その“生活の中に溶け込んだ文化”が、少しずつ薄れているのです。

これからどうなるのか

もしこの流れが続けば、ジンギスカンは「北海道らしい料理」ではあっても、「北海道民が日常的にやるもの」ではなくなるかもしれません。

それはつまり、“文化としてのジンギスカン”の終わりを意味します。

それでも残したい風景

春の公園に漂う煙。
外で食べる開放感。
大人数で鍋を囲むあの賑わい。

ジンギスカンの本当の価値は、味そのものよりも、そうした「体験」にあったはず。

だからこそ今、あらためて問い直したい。

私たちはこの文化を、このまま静かに手放してしまっていいのでしょうか。

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